株式会社 岸田は、自社製造のJIS生コンを、
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株式会社 岸田
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歴史を振り返って > 昭和50年代以降 > 昭和40年代 > ページ内リンク:昭和30年代 >

イベント情報などを幅広く掲載している「地域インターネット新聞」である「横浜日吉新聞」に掲載のため、古い写真を集めました。
説明を加えて自社ホームページにも掲載しますので、ぜひご覧ください。

横浜日吉新聞の弊社掲載部 >

昭和30年代(1955年~1964年)

弊社は、昭和33年(1958)6月の創業です。
現在地にて、建築資材販売業を個人事業として始めました。
昭和36年(1961)1月に、有限会社岸田商店に改組しました。

現在地にて撮影、創業者で初代社長の岸田正治と現社長の岸田祐一

現在地にて撮影、創業者で初代社長の岸田正治(まさはる)と現社長の岸田祐一(1958年頃)。
当時の付近には、今のようなマンションなどの大きな集合住宅も周囲にはありませんでした。

初代「岸田商店」の建物と砂の山をバックに撮影

初代「岸田商店」の建物と砂の山をバックに撮影(1958年頃)。

雑貨などを扱う小売店「みのわや」や現在も建物が残る往時のクリーニング店の看板

かつてあった雑貨などを扱う小売店「みのわや」や現在も建物が残る往時のクリーニング店の看板も(1958年頃)。

「自宅兼社屋」だったため、砂の山は現社長の「遊び場」だった

「自宅兼社屋」だったため、砂の山は現社長の「遊び場」だった(1960年頃)。

初代の社屋とトラック。右手が綱島街道、奥が日吉駅方面

初代の社屋とトラック。右手が綱島街道、奥が日吉駅方面(1960年頃)。

昭和40年代(1965年~1974年)

昭和40年(1965)10月に、現在地に生コンプラントを建設して生コン製造・販売を開始しました。
昭和45年(1970)1月に、株式会社岸田商店に改組しました。
昭和40年代は高度成長の時代で、弊社にとっても発展期でした。

「岸田商店」時代のプラント施設

「岸田商店」時代のプラント施設。徳山セメントからセメントを購入していました(1970年代)。

区画整理が行われる前の住所が書かれた「ミキサー車」

区画整理が行われる前の住所が書かれた「ミキサー車」(1970年代)。

昭和50年代以降(1975年~)

「生コンクリートの品質の安定」を第1に考えて、さまざまな施策を推進して来ました。

昭和59年(1984)1月、日本工業規格(JIS)表示認定工場として登録。
平成10年(1998)1月、現在も使用している機械にバッチヤープラントを更新しました。
平成10年(1998)3月、株式会社岸田に社名を変更しました。
平成17年(2005)8月、高強度コンクリート大臣認定取得。
平成18年(2006)6月、新JIS規格に対応しての工場の認証取得

新社屋の建設前、新たなプラントを設置

新社屋の建設前、新たなプラントを設置。今はなきユニー(サンテラス日吉)や隣接地にあった日産自動車の販売店も見える(1998年頃)。

ミキサー車は「オレンジ色」に。周囲に高いマンションなどの建物も増えてきた

ミキサー車は「オレンジ色」に。周囲に高いマンションなどの建物も増えてきた(1998年4月)。

「洗車」をしっかりと行う伝統を貫いてきた

「洗車」をしっかりと行う伝統を貫いてきた(1998年4月)。

生コンクリートは「最高品質」にとこだわり経営を行ってきた

生コンクリートは「最高品質」にとこだわり経営を行ってきた(1998年4月)。

歴史を振り返って

これまでの歴史を懐かしみ、「これからも地域のつながりを大切にしていきたい」と語る現社長 岸田祐一

これまでの歴史を懐かしみ、「これからも地域のつながりを大切にしていきたい」と語る現社長 岸田祐一。

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